永六輔君の他界と「仰げば尊し」の出来事

永六輔くんの訃報に接したケース、私の胸に最初に去来したのは「これで『中年御三家』の三人間が全般逝ってしまったなぁ」という感慨だった。しかしよく考えれば、野坂昭如くん、小沢昭一くんとトリオを組んでTV出席したり武道館でパフォーマンスをしたりといったことは、永くんの生前のアクティビティーの中ではごく一部を占めるに過ぎない商品だったに差ない。実にあたいは、それ以前にも「上を向いて歩こう」に第一人者罹るような中村八大くんとのコンビによる数々のヒット曲で永くんの作品には親しんでいたし、小学校だった位の私の想い出の中では、当時の人前の景色と永くんの所作とは分かち難く結び付いていたのである。したがって、高校生を卒業して浪人間だったあたいには、「中年御三家」の発売は永くんとの再会という全容が強かった。そんなあたいが永くんのゼミナールに出席したのは、1990時の下にアメリカの駐在員をしていたときだった。シカゴに拡散やる日系部分で構成されているシカゴ和風商工カンファレンス所は、年に一時和風から花形を招待してゼミナールを行なっていた。6年間の滞在タームの住居いつの主旨だったか私の想い出が定かではないが、永くんが講師としてそのゼミナールに招かれた年があったのだ。もちろん、永くんのことだから課題のコンテンツも面白かったが、訊く者を惹き込んでいくような巧みな話法にあたいはさっぱり感心してしまったことを覚えている。そして、あたいにとってひときわ深く状況に居残るのは、おしゃべりの締め括りとして「皆で起立して『仰げば尊し』を歌いましょう」と永くんに促されるままに、先方が皆で「仰げば尊し」を歌ったことである。和風から遠く離れた海外の職場で伴奏無しに斉唱されたその歌は、なぜか私たちの心に流れ出るように響いたのである。あたいはそのとき逆鱗が浄化されたように感じた。http://www.idfo.biz/

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